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Life will be beautiful

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ひきこもるということ ~Bの今~

Bは30歳を過ぎたころ、通信制の大学に入学したのだ。
時々スクーリングとして学校に出向く必要はあるものの基本は通信で単位が取れる。
彼のペースに合った大学であった。

その数年後、父が定年退職し、熊本に戻ってきた。
本来新しい土地はやり直すのに好条件であることが多いが、Bはかえってひきこもっていた。
なので、熊本に戻ってきたBはゆっくりではあったものの少しずつ心の扉を開いていったのであった。

そのきっかけを作ってくれたのが、Bの中学時代の同級生C君である。
C君はAとBの中学時代の共通の友人であった。
でも、AとBが登校拒否になり、距離ができていたはずなのだが、Bとは完全に途切れずにいたようだ。
ひきこもりだったBを唯一外に出してくれた人物。
中学生の時に父親が魚釣りの船から転落し、溺死。
そのわずか数年後に母親もくも膜下出血で寝たきりとなり、その後も母親の介護を続けているC君。
傍から見たら、大変な境遇に感じるのだが、とても明るく素直な子である。

C君の中にひきこもり生活に終止符を打たせたい!なんていう野望があったのか、それともただ単に大好きなアイドルグループのコンサートに唯一付き合ってくれる人としてあまり深い意味なくBと遊んでいたのかはわからない。
でも、C君の存在はBには大きかった。
彼の存在で少しずつだがBは変わってきたのは間違いない。

それから2012年に私が結婚。
これまで年に1回程度だった帰省の頻度が増えた。
だが、私だけが帰省するときはBと会うことが出来たのだが、旦那も一緒のときはBは理由をつけていないことが多かった。
それが数年たつと、旦那がいても家にいるようになった。

2016年、Bにとって初の甥っ子であるハル君が生まれた。
私が同時期に福岡にきたため、Bと会う回数が増えたこともあるが、現在は私が帰省時に家にいないということはほぼなくなった。
以前より目を見て人と話すこともできるようになったし、何よりも会話量も増えた。

私が何よりも驚いたのはハル君にデレデレになっているところ。
あまり子供好きのイメージではなかったのだが、甥っ子というのはとてもかわいいらしい。
ハル君もBに早々になついて、最近は実家に帰ると「おいちゃんは?」と聞いてくる。
そんなハル君のためにBはいったこともないおもちゃ屋さんに行ったり、散歩に連れて行ったりと自分の目的以外の行動をするようになった。

そして、今年。
長かった通信大学もようやく終わりが見えてきた。
あと少しの単位で卒業できるという。
社会人としてもうすぐ小さな一歩を踏み出す。
もうアラフォーのオッサンだけど、家族としてはうれしい。
多分これからも山あり、谷ありかもしれない。
でも、ここまできたら、マイペースにやっていってほしいと思う。

応援してるよ、B!

by dckuma | 2019-08-30 20:28 | かぞくのこと | Comments(1)

ひきこもるということ~Bの戦い~

Bは一つ目の大学を中退した後も大学に入っては中退を繰り返した。

私としては大学にこだわらなくてもいいんでは?と思っていたが、何よりも本人がこだわっていた。
これはおそらく父の幼いころからの洗脳?によるものであったと思われる。
大学に行くのが当然、大卒じゃなければ今の時代やっていけない・・・etc
でも、自分のキャパを超えた行動はすぐに力尽きてしまう。
大学入学を果たしても長続きしなかったのはそのためだ。

そして、Bは大学の為に一人暮らしをしていたアパートを引き払い、実家に戻った。
Bが25歳ごろだっただろうか。
そこから長い長いひきこもり生活が始まった。

その頃、母は住んでいた家を賃貸に出し、父の単身赴任先に移った。
Bもそこに入り込む形となった。
当時私は医学生真っ只中で、遠方ということもあり、家族がどのような状態であったかはわからない。
ただ、年に数回する電話で、Bのことを尋ねると、明らかに母は受話器を持って、違う場所に移動し、話をした。

Bは誰も知らない土地でひきこもり生活を送り始めた。
新しい土地でまた一からスタートを切るいいチャンス。
だが、Bはそれを生かしきれず、ますます内にこもった。

やはり、その原因は父である。

父は昔から自分の考えを押し付けるところがある。
その上、ネガティブ思考であり、自分の敷いたレールから逸れると、もうこの世の終わりだと言わんばかりに人を責め立てる。
しかも、父はなぜかBとは表面的な会話しかしない。
Aがひきこもっていた時はAと二人で出かけたりして、なんとかAが立ち直れる道を探ろうしているところが感じ取れた。
だが、Bに対しては本当に聞きたいことは聞かず、母に「お前が何とかしろ」と言うだけ。
Bに話をしたとしても彼の意見をきかず、「お前はこうしとけばいいんだ」の一点張り。

Bはそのためか非常に自己評価が低い。
父が自分と腹を割って話してくれないのは、自分に期待していないからだ。
幼いころから世間体と固定観念にとらわれた父の世界から抜け出せず、そこに当てはめられない自分はダメな人間だと思い込んでいた。
私はそんなBを父から離したかった。
1人暮らしを始めたり、なんなら私の住むところにきてもらってもいいとも思っていた。

といっても、私も所詮外野。
Bにそのことを伝えるべく十分な時間を割いて話をすることはなかった。
結局のところ父と私は意見が違えど、周りで騒いでいるだけでBの気持ちに寄り添ってはいなかったのだ。

母はそんな中で一番Bの身近にいた存在だった。
外野の意見を聞きつつBに負担をかけないようにしていた。
外野の私にとってみれば「甘やかしている。逆に母の存在が彼の成長の妨げになっているのでは?」と思っていたが、今思えば、母は母親として役割を果たしていただけであった。

だが、そんなBも30を過ぎたころからわずかずつではあるが、変化がみられるようになった。

by dckuma | 2019-08-06 21:39 | かぞくのこと | Comments(0)

妻として、母として、医師として