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Life will be beautiful

ひきこもるということ~Bの戦い~

Bは一つ目の大学を中退した後も大学に入っては中退を繰り返した。

私としては大学にこだわらなくてもいいんでは?と思っていたが、何よりも本人がこだわっていた。
これはおそらく父の幼いころからの洗脳?によるものであったと思われる。
大学に行くのが当然、大卒じゃなければ今の時代やっていけない・・・etc
でも、自分のキャパを超えた行動はすぐに力尽きてしまう。
大学入学を果たしても長続きしなかったのはそのためだ。

そして、Bは大学の為に一人暮らしをしていたアパートを引き払い、実家に戻った。
Bが25歳ごろだっただろうか。
そこから長い長いひきこもり生活が始まった。

その頃、母は住んでいた家を賃貸に出し、父の単身赴任先に移った。
Bもそこに入り込む形となった。
当時私は医学生真っ只中で、遠方ということもあり、家族がどのような状態であったかはわからない。
ただ、年に数回する電話で、Bのことを尋ねると、明らかに母は受話器を持って、違う場所に移動し、話をした。

Bは誰も知らない土地でひきこもり生活を送り始めた。
新しい土地でまた一からスタートを切るいいチャンス。
だが、Bはそれを生かしきれず、ますます内にこもった。

やはり、その原因は父である。

父は昔から自分の考えを押し付けるところがある。
その上、ネガティブ思考であり、自分の敷いたレールから逸れると、もうこの世の終わりだと言わんばかりに人を責め立てる。
しかも、父はなぜかBとは表面的な会話しかしない。
Aがひきこもっていた時はAと二人で出かけたりして、なんとかAが立ち直れる道を探ろうしているところが感じ取れた。
だが、Bに対しては本当に聞きたいことは聞かず、母に「お前が何とかしろ」と言うだけ。
Bに話をしたとしても彼の意見をきかず、「お前はこうしとけばいいんだ」の一点張り。

Bはそのためか非常に自己評価が低い。
父が自分と腹を割って話してくれないのは、自分に期待していないからだ。
幼いころから世間体と固定観念にとらわれた父の世界から抜け出せず、そこに当てはめられない自分はダメな人間だと思い込んでいた。
私はそんなBを父から離したかった。
1人暮らしを始めたり、なんなら私の住むところにきてもらってもいいとも思っていた。

といっても、私も所詮外野。
Bにそのことを伝えるべく十分な時間を割いて話をすることはなかった。
結局のところ父と私は意見が違えど、周りで騒いでいるだけでBの気持ちに寄り添ってはいなかったのだ。

母はそんな中で一番Bの身近にいた存在だった。
外野の意見を聞きつつBに負担をかけないようにしていた。
外野の私にとってみれば「甘やかしている。逆に母の存在が彼の成長の妨げになっているのでは?」と思っていたが、今思えば、母は母親として役割を果たしていただけであった。

だが、そんなBも30を過ぎたころからわずかずつではあるが、変化がみられるようになった。

# by dckuma | 2019-08-06 21:39 | かぞくのこと | Comments(0)

ひきこもるということ~Aの変化~

その後、私は大学受験に失敗し、地元を離れ、寮のある予備校に入学した。
1年後に無事医学部に合格し、さらに地元から遠い場所に引っ越した。

弟たちは私の高校卒業と同時に中学を卒業した。
しかし、中学時代をまともに過ごしていなかった弟たちが受験を乗り越えられるわけもなかった。
ただ両親はここが転機とばかりに弟たちを高校に行かせることに必死になっていた。

そして、Aは熊本市内から離れた地域の高校へ入学し、寮生活を開始。
Bは1年遅れで、祖父母のいる北九州の高校に入学し、祖父母の家に住むようになった。

でも、高校に入れるという目的を果たしたのかもしれなかったが、弟たちの心がついていってなかった。
Aはすぐに高校に行かなくなり、やがて自主退学した。
実家に戻り、ここから本当のひきこもりが始まった。
食事以外は部屋から出てこなくなり、昼夜逆転の日々を送っていたようだった。
遠方にいる私はその当時の姿がどうだったのか、家の雰囲気がどうだったのか実際見ていた訳ではない。
電話で尋ねても母は重い口を開くという感じで、あまり詳細は語ってくれなかった。

一方、Bは居候生活を続けていた。
祖父母の家には叔父家族も住んでおり、人間的にすごくいい方々であったが、性格的に人見知りの強い弟はとてもつらかったと思う。
そんな環境でもBは高校を卒業した。
そして、大学に入学したのだが、結局親の、というより父の意向を組んだような学部に行った影響か、またもやドロップアウトした。

AもBも再びひきこもりか、と思い始めた頃、希望の光が見え始めた。
Aが大検取得を目指して、予備校に通い始めたのだ。
予備校も行かないこともあったようだが、それでも一般の高校3年生の年にほとんどの受験資格を得て、翌年に完遂した。
そして、志望校に一発合格したのだった。

AはBよりもひきこもり度が強かったが、なぜ急に?

誰にもわからなかったが、確実に言えることはただ一つ。
本人が誰よりもこの状況から抜け出したかったのだ。

そこから彼の人生は見違えるようになった。
大学はとんとん拍子に卒業し、現在CADを用いたとある製品の設計に携わっている。
大学時代はゴルフにはまり、それが今の会社での人間関係の構築に役立っている。
家族からすればかなりこだわりの強い頑固な偏屈ものだが、外では仕事熱心なゴルフ好きな人として、親しまれているようだ。
一度Aと私が同時に帰省中にAの携帯に会社からの電話があった。
その口調はよそいきで、全うにやっているのだと姉として安心したのを覚えている。

つづく

# by dckuma | 2019-07-12 20:53 | かぞくのこと | Comments(0)

ひきこもるということ

先日起きた川崎での痛ましい事件。
これにより「ひきこもり」「8050問題」が取り沙汰されるようになった。
また同時に「一人で死ね」「他人を巻き込むな」論争も勃発した。

私はこの「ひきこもり」について、外野ではなく、当該者的に意見をいう立場にあると思う。
こちらのブログに引っ越してきて、言及したことはなかったが、我が弟たちは「元ひきこもり」である。
双子の弟AとBは中学生頃からひきこもるようになった。
きっかけはいじめ。
小学校のころからおとなしい弟たちはいじめられやすいところがあった。
それが、中学校になると顕著に。
特にAはいじめられてその反発で、学校を飛び出し、一騒動起こしていた。

この時本当に問題なのはいじめた方なのだが、学校側は学校を飛び出した弟の方を問題視した。

このことがひきこもりとなったきっかけである。

私も卒業したその中学校の教師の対応には私自身も在学中に疑問を持っていた。
学校側に善悪の判断よりは「出る杭は打つ」ことに重きを置いている印象があったからだ。
思春期のいじめは子供のいろんな感情が入り混じっていじめに発展することは重々承知している。
でも、「いじめ」が起こった時に本当に悪いのはいじめた側。
このことを基本に指導していかないと、いろんなところにひずみがでてくる。

そして、Aが不登校になったことが、Bにも影響するようになった。

Aの不登校が続くと、Bも友人たちに聞かれたりすることが嫌になったのであろう、学校に行きたがらなくなった。
そして、A同様に「おなかが痛い」「体調が悪い」などといろいろ理由をつけて休むようになり、その結果、Bも不登校となってしまった。

Aの不登校は中2、Bの不登校は中3から、かなり深刻な状況だった。

当時父は単身赴任中。
多感な時期の中学生二人を母は一人で抱え、父は週末などたまに帰ってきては子供たちが学校に行かないことの怒りを母に向けた。
不登校だけでなく、家族関係も最悪だったと思う。

一方、私は弟たちと3歳離れているため、彼らが中学に入学した年に高校に入学した。
かなり厳しい校風の学校だったため、当時の私はいつも気がたっていた。
特に高校3年生の受験の時期には私が帰宅すると、弟たちは自分たちの部屋に隠れてたくらい。
母は登校拒否の弟といつもぴりぴりしている私、そして、週末だけ帰ってきて、仕事の不満、子供たちの不満をぶちまける父のケアに精神的に相当参っていただろう。

つづく

# by dckuma | 2019-06-28 23:49 | しゃかいのこと | Comments(0)

他人事ではない

ここ最近高齢者ドライバーの交通事故ニュースがあとを絶たない。
統計的には事故率自体は若者(10代~20代)の方が多いらしいが、その原因は若者は安全意識が低い、運転技術が未熟なのに対し高齢者は運動能力の低下によるものだということ。
どちらも問題と言えば問題なのだが、身近に両親という高齢者を抱える身としては高齢者ドライバーの事故は他人事ではない。

で、我が家の抱える高齢者の現状。

義母は60歳ごろまでは仕事で車を使用することが多く、ほぼ毎日乗っていたそうだ。
しかし、仕事が代わり、車が必要なくなってからは車を運転から遠のいていた。
だが、福岡に引っ越してきたときに困った。
その頃喘息の持病の悪化もあり、自転車に乗るのも大変だったため、容易にでかけられなくなったのだ。
旦那から私たちの車を使ってもらうのはどうかとの提案があったが、入っていた保険が配偶者限定だったことと義母の乗り慣れない外車であることから反対した。

にもかかわらず、旦那は私が気づかない隙に何度か近所のスーパーに行くのに車を使わせたようだった。
そのことが判明したのはある日のこと。
義母が気まずそうに「車の一部を破損してしまった」と告白してきたのだ。

ことの真相は以下の通り。
いつも行くスーパーはコインパーキングに止める必要があった。
基本そこで買い物した人は無料なのだが、コインパーキングであるためにストッパーがあがってしまう。
そのため、無料であっても精算機で処理をしてストッパーを下げないといけないのだが、義母はそれを失念し、そのまま車を発進。
ものすごい音と共にかなりの抵抗をもって車が進んだようだった。
もともと車体低めの車の為、かなりアクセルを踏み込んで、発進したに違いない。
さすがにおかしいと気づき降りたところ、車の部品が転がっていたというわけであった。

保険の対象でない状態で運転したことも問題だが、冷静さにかけた行動も問題だった。
転がった部品を回収はした。
しかし、コインパーキングが大丈夫か確認しなかったのだ。
そのため、告白を聞いた後、まずすぐに旦那に義母と一緒に行かせて、コインパーキングの動作確認をしてもらった。
幸い正常通り機能し、問題はなさそうだった。
そして、肝心の車。
取れた部品はそれほど重要な部品ではなく、5000円程度の修理で終了した。
結果的に大事にはならずに済んだ。

だからと言って、よかった、よかったと言える話でもない。
今回は軽い事故で済んだかもしれない。
でも、近場だから大丈夫、昔は良く乗っていたから大丈夫というのは過信でしかない。
事故と言うのは自宅の駐車場でも起こりうるのだ。

旦那も義母もこの一件ですごく反省し、以後車には乗らないと約束した。
よくよく聞いてみると、義母は福岡に来る前、大阪で2回ほど親戚の車を運転して、自損事故を起こしていたのだ。
医療業界によくあるヒヤリハット。
小さい事故は大きい事故の元。
大事に至る前に車に乗らない決断をしてくれたことに感謝する。
福岡は大きい都市と言えども大阪から来た人間からすると田舎である。
だから、多少の不便は強いていることは百も承知だが、車が必要な移動時は積極的に私たちが足になるようにしている。

そして、次は我が両親。
父が免許をとったのは私が小学生高学年の時、アメリカでとった。
アメリカは教習所には行かずに直で免許をとるのが一般的なスタイル。
帰国後もその免許を切り替えただけの為、日本の教習所にいったことがない。
だが、今の今まで事故を起こしたことはない(正確には一度あるのだが、100%相手側に非のある事故であった)。

とはいえ、やはり高齢になれば何が起こるかわからない。
もともと怒りっぽい性格で、過去には危険な運転をした人にブちぎれてその車を追い回したり、スピード違反でつかまったことも数回ある。
頻度は減ったが今でも父の車に乗ると「あいつ運転が下手」「のんびり走ってる!」など他の車に対する文句がしばしば。
冷静な判断を常に伴う車の運転に短気というのは百害あって一利なし。
それに加えて、高齢者の運動能力低下が加われば、いつ何が起こってもおかしくない。
ニュースになる高齢者交通事故の多くは長年車を運転していた人が引き起こしている。
高齢者の運転歴というのはあまり関係ないということだ。

父は現在も現役で仕事をしており、車が必要なのはわかっている。
でも、「俺は大丈夫」というNGワードを父が発するたびに「俺は大丈夫ではなくて、俺も危ないかもしれない」という意識を持ってほしいと強く思う。
父には百歩譲って車はいいとして、早急に車を乗り換えるよう伝えた。
100%でないにしても今よりも安全機能が充実した車への乗り換えもしくは踏み間違い加速抑制システムの装着可能な車種への乗り換えを勧めた。
そして、75歳を目途に車の運転をやめる方向で考えてほしいとも。
手応えはあまり感じられていないが、とりあえず車種の変更には同意を得た。
あとは毎年根気強く伝えていくしかない。

そして、母。
実はこれが一番やっかい。
母は長いことペーパードライバーであったが、父と同じくアメリカで運転を始めた。
そして、帰国後もしばらく乗っていたが、頸椎症を発症してから父に運転を止められ、以後運転しなくなった。
今思えば頸椎症も大したことはなく、父の過度の心配性にすぎず、近所程度であれば運転してても問題なかった。
母は自転車も乗れないため、徒歩と公共の乗り物で普段は生活している。

そんな母が突然、先日の帰省時に「運転を再開しようと思う」と言ってきた。
ただいま68歳の母。
15年ほどのブランクを経ての運転再開発言。
娘としては心穏やかではない。
全力で反対した。

でも、母は「いや、大丈夫。運転する」との一点張り。
母はあまり私や父と違って自分の要望を押し通すタイプではないのだが、その母の頑なぶりに私はこれは相当なバトルが展開されると思った。
しかも、ずっと母の運転を止めてきた父がここにきて「大丈夫だろう」なんて言い出すもんだから余計にたちが悪い。
結局自分が運転できなくなったあとの自分の足を心配したのであろう。
それならあの時散々母に「危ない、危ない」なんて言って運転をやめさせなきゃよかったのに。
父の中途半端さにも腹が立った。

とりあえず「今すぐ」という感じではなかったため、この話は次回持ち越しとした。

そして、数週間後のこと。
どうして母が運転をしたがるのかわからなかったが、この時に判明した。
母はパートをしたかったのだ。
ちょうど母が長年愛用している某宅配スーパーがそこの食材を使って社員のランチを作るバイトを募集していた。
栄養士の資格があり、料理が得意な母はこれまでの専業主婦生活に終止符をうち、その第一歩として食堂バイトをしたいと思ったのだった。
だが、ここで問題となったのは「足」。
場所はさほど遠くないのだが、歩いていくには遠すぎる。
しかもちょうどいい公共機関もない。
毎回タクシーの往復では何のためにバイトしているかわからない。
そこで、運転を再開してみようと思ったのだった。

母の気持ちは分かったが、再度説得。
幸い?そのバイトの募集も終了したため、今すぐ足が必要という状況でもなくなった。
でも、母が働くという気持ちは大切にしたかった。
免許返納にはまだ難色を示してはいるが、私が言わんとすることはわかってくれているようだった。

とりあえず今の時代ネットが大事!
パソコンにはとんと疎いわが母にまずはパソコンの勉強をするよう伝えた。
ネットショッピングもできるし、ネットで自ら作った料理を発信することもできる。
「足」の手配だって近い将来できるようになるかもしれない。
次の母の誕生日にはノートパソコンを買ってあげることを約束した。
あとは父同様引き続き訴えていくしかないであろう。

交通事故は高齢者だけが起こすわけではない。
でも、高齢者事故の多くが、踏み間違えや信号無視、集中力、判断力、運動能力の低下が導き出したものである。
このちょっとしたミスが、人の命を奪うのだ。
せめて自分の家族がその事故の原因とならないためにも家族として説得を続けていきたい。

そして、個人的な意見として、運転免許証の年齢上限を設けてもいいのではないかと思っている。
もちろん同時に地域全体でのサポートは必要で、特に「足」となるサービスを充実させるのは急務だ。

どうするのがベストなのかはまだ勉強不足でわからないが、いかなる方法であれ、このような悲しい事故が無くなることを望みます。

# by dckuma | 2019-06-11 21:19 | しゃかいのこと | Comments(4)

トラブル続編

今年に入って、階下からのつつき音は聞こえなくなった。
防音マットがきいているのかな?
それとも新年になったからやめようと思ったのかな?

だからと言って、安心はできない。
子供には引き続き、大きな音を立てないように言い、大きめの音を出してしまったときは「鬼がくるよ」と言って注意した。

我が家の上階のお子さんは(たぶん上階)よく走りまわっている。
うちの子は注意される前からこんなに走り回ってないんだけどなぁ。
なんとなく自分子供が不憫に思えてくる。
まぁ、気になる人は気になってしまうのが他者の音なので、向こうもそれなりにストレスがたまっているのであろう。
とりあえず今できる対策はしたし、きっと以前よりはるかに騒音は軽減しているはず。
しばし、我が家にも平穏が訪れた。

だが、それも長くは続かなかった。

3月下旬のある日のこと。
再び管理会社のKさんから電話がかかってきた。
「実はですね、また階下から騒音の苦情が入りまして」
へ!?
「春休みに入って、お子さんの音がうるさいとのことなんですが・・・」
春休み!?
すかさず反論。
「春休みって、私たちは共働きで、子供もまだ2歳なので、毎日朝から夕方まで保育園に預けているんです。だから春休みとかありません。ということは昼間に聞こえるということですか?」
「いや、電話をかけてこられたのがご主人なんですが、話を聞いているとご主人は(奥様から)言われてかけてきているようで、具体的にどのようにうるさいかとかわかっていらっしゃらないようなんですよね」
「こちらは以前に苦情がきてから10万円以上かけて防音マットも敷き詰めましたし、子供にも下には鬼が住んでいるからドンドンしたらダメよと注意していますし、それでも子供だから100%じゃないのはわかっていますが、子供が音を立てたときはすぐに注意して、連続的に長時間音が出るようなことは決してしてません。それでもうるさいと言われたら、私たち引っ越すしかありません。」
Kさんに言ってもしょうがないのだが、少し強めに言ってしまった。
「ちゃんと対策されていらっしゃるんですね。音の感じ方って人によって違うので、どの程度の音なのかというのは確認しようがないのですが、お相手方は家に見に行ってくれるんですか?っていうんですよ。初回はご挨拶がてらdckumaさんのお宅に伺いましたが、正直私たち管理会社としてもこういった問題は契約には含まれていませんし、個々で解決してほしいというのはあるんです。マンションの組合長もかかわりたくないと思っていらっしゃって、子供がたてる音はいずれおさまるものですし、基本我慢してほしいというスタンスなんですよね。」
「ちなみにご主人はうるさいと感じていらっしゃるのでしょうか?うちは共働きなので、日中は家に誰もいません。どちらかというとご主人と生活リズムは合っていると思うので、おそらくご主人も聞いていらっしゃる可能性が高いと思うんです」
「電話の感じですと、ご主人は「~みたいなんです」のような言い方をされているので、直接自分が聞いて言っている感じは受けませんでした。でも、聞いてみます。dckumaさんの状況はわかりましたので、対策されていることも含めて先方にお伝えします」

さすがに2回目の苦情には怒りを覚えた。
かなり気を張って対策しているにも関わらずに苦情がきたからだ。
ただ私は1回目の苦情以降意識的に過ごしてきたが、旦那と義母は違った。
私が今の音はやばい!と言うと「今のぐらい大丈夫だよ」という感じで返してきたからだ。
だから、私がたまに夜でかける用事があった時などはいつもより防音意識は低かった可能性はある。
それでも、1回目の苦情前よりは断然改善しているはずなのに・・・。
ま、2回目の苦情で旦那や義母もかなり「ヤバイ」と思ったらしく、今は私よりも音に敏感になっている。

つづく

# by dckuma | 2019-04-27 21:33 | ひとりごと | Comments(0)

妻として、母として、医師として